2022年1月11日火曜日

大岡昇平の野火についてのメモ

 文学 野火をちゃんと。

野火は ペスト ロビンソン・クルーソー 白鯨


戦争体験を迫力ある筆致で書いたから凄いのではない

それは単なる背景です


アンネフランクの日記は当事者が書いた文章

聞けわだつみの声も当事者


ハンスカロッサのルーマニア日記は当事者なのに文学的批評があるのだ

そういう目で野火を読むと

ペスト以上のものがある


日本人にとって太平洋戦争は絶対化していて、少しでの批評をしてもいけない

批評とは他人事だからだ

永遠に当事者として哀悼の意を評しつつ強烈な自己反省をすること


でも

ルイ14世の戦争 ナポレオン戦争 普仏戦争 第一次大戦 第二次世界大戦

30年戦争 7年戦争 ナポレオン戦争 普仏戦争などなど


独自解説。戦争の対象化。

極論と極論中間に真実がある 太平洋戦争は全部間違ってたことはなくぜんめんてきに正しいわけでもない

でも政策としては世紀の失敗、領土を失い軍は無くなり民間人が何百万人も死んだ

独ソ戦 文化大革命 台湾 朝鮮戦争 ホロコースト スペイン内戦   こういうものの一つ  沖縄 満州 広島 長崎 東京  逆にこういうものと位置づけないと、世界そのものの消滅 聖戦になってしまう 聖戦などあってはならないというのが私の意見


2022年1月9日日曜日

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を楽しく解説します

 難解とされるジョイスのユリシーズ。

読み方にはこつがあります

それさえわかれば素晴らしさが一機に来ます

詳細解説は第一部第三章のスティーブン・ディーダラスの意識の流れを対象にやりました


ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』|小説なのに小説を超えた20世紀文学の金字塔



ジェイムス・ジョイスのマインドワンダリングを読むとき人の意識はデフォルトモードになっているか?|ちょっと長くなった!




ユリシーズ徹底解説|「第一部のプロテウス」意識の流れを分析する




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トーマス・マンの『ファウストゥス博士』を動画で解説

 YouTubeでファウストゥス博士を探すと、語っている人はいませんでした:2021/12/30現在。

なので割と細かく詳しく話しました

3本あります。

1.トーマス・マン畢生の大作『ファウスト博士』第1回概要 全3回|知名度ゼロの代表作の素晴らしさ


2.マン作『ファウストゥス博士』第2回|ベートーベンのピアノソナタをめぐるなが~い音楽論は何のために書かれているのかを素人目線で解説


3.神も人類も第9「歓喜の歌」の幻を打ち払え!|マン作『ファウストゥス博士』第3回






純文学ランキング

2021年12月30日木曜日

シュテイィフターの晩夏につういてのFB投稿から

 晩夏について。1.

ちなみにぼくのYouTubeチャンネルをきっかけに晩夏を読んだ方がいて、最近読了したとのメールをいただきました。イギリス在住でドイツ語で読んだとのことで!!!!って感じで驚きました
僕は動画では、古びた温泉宿に長期逗留しているときに読む小説ですと言ったのですがその方は、まさにそんな感じで読んでいたく感激され、印象が収まり切れないからもう一度読む予定とのことでした
これはリルケの賞賛の言葉の中に、あなたがまだ時間というものを持っていなければ、この作品には時間があるからそこにひたるとこの世界がわかるでしょう、と書いていたのを日本的に俗っぽく古びた温泉宿で読むと言ったものです

晩夏について 2.
晩夏にはほぼ物語がない、なので退屈と言われるのですが、それは私たちが晩夏のリズムに調律できないまま読むときに起こることです、ロック音楽を聴くつもりで、マーラーを聴こうとすると退屈です。
私たちの日常のリズムのまま晩夏の世界に入るとリズムが違うって止まって見えるからつまらない。、鳥を使ってバラ園の昆虫を取り除くときの鳥たちの描写などを、もしそこに没頭して読むとそれは薔薇の館の庭をリアルに味わう体験となりますが、ロックのつもりで読むと、長く退屈な描写にしかすぎません
この小説はみずからはリーザハ男爵、ハインリヒ、マティルデの精神に調律し、その世界をはたから読むのではなくその世界の一員としてその世界を味わう時に、はじめてニーチェやリルケやマンの言った、作品の真の姿が見えて来るのです
そしてそうなるとこの作品以外にこういう小説は存在しないのでもう一生手放せなくなるのです

善しか書かれていないという評論もあります。人間の光の面だけで書いているから現実と乖離しゆえに退屈になると。確かに明暗の織り成す光の綾こそが物語ですからその通り。
これについては瞑想を考えるとわかりやすい。瞑想をするとき悪のイメージや不幸なイメージ、人を避難するイメージ、過去のネガティブな思い出を敢えて見ようとする人はいません。あらゆるマインドフルネスは、ニュートラルに心をチューニングするメソッドです

晩夏は、人間精神のニュートラル化によっておこる、いわば瞑想的読書体験です
人間の悪は、そう考えると本来の人間の姿ではない
これはヒマラヤの山奥でひとりきりで瞑想しているときに悪人はいないという話と同じで、市場にもどって多数の他人とかかわることで悪が発生するので、人間がひとりのときは悪も善もない
ゆえにこの作品は善だけで書かれたのではなくて、ニュートラルな人間像を書いているのです。
それを担保するものとして古代ギリシャ精神が重きを置かれています

以上だらだら長文を失礼しました。あまりに好きな作品なのでつい書いてしまいました

2021年12月27日月曜日

2021年今年の読書体験

 今年は再読した、そして積読していたものを読了した

カミュの 異邦人

太宰治の 斜陽

渡辺淳一の 流氷への旅

JPホーガンの 巨人たちの星 ガニメデの優しい巨人

モーパッサンの 主要な短編集

バルザック 谷間のゆり

森村誠一 の何か






他にも再読したような気がするがぱっと思いついたのはこれだけ

バルザックの谷間のゆりは 長くて読みにくかったが不思議なのはこうした古典小説は

退屈と戦いながら読み終えてしまえば いつまでも印象が消えないのだ

逆に去年読んだ 天皇家の忍者 とか ジンギスカンが義経

などは読んでるときは面白いがもうあまり中身のこまかいところを覚えていない

太宰の斜陽などは中学1年で読んで何もわからなかったが

今読んだら面白かった

異邦人も改めてよくわかったのである

それほど感心はしなかった。やはりペストのレベルまで行かないといまいちかもしれない



2021年12月13日月曜日

【小説作法 ひとつの方法|パラシュート型展開法】

 【小説作法 ひとつの方法|パラシュート型展開法】

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創作をしていると、当初描いたものと違うものに変わることがよくあります。はじめから終わりまでを時系列に書くことに意味はないのかもしれません。

パラシュート創作法。

書きたいシーンをまず書く。そこから未来へ展開させる。

そしてそこから過去へも展開させる。

こうなったのはなぜかを書くと、最初から時系列で書くより明らかに奥行きが出ますね。それは未来をしっていて今を書くからでしょう。

そのシーンの展開に飽きたら、今度はまた別の書きたいシーンを書いてみる。その二つがうまくリンクできれば一つの小説になるし、嚙み合わなければ別の小説になる。

トルストイのアンナカレーニナなどは、鉄道自殺した女のニュースを聞いたのがきっかけで書き始めたそうだから、鉄道自殺のシーンからすべてはさかのぼったのだと言えますね。

バルザックなどもこの館が今こうなっているのは、過去にこんなことがあったからだと、谷間の百合 や ざくろ屋敷を書いています。

あらかじめ目次を作ってそれに沿って書くのは実は自意識のみの力で創作するようなもので、作り物感が出てきます

パラシュート的創作をすることで作家は、過去を神のように操れるのですね。三人称で書くときにはこのようにしないと、読者と一緒に作者も考えながら書いていると感じさせるといまいちになってしまいます


【詩の書き方講座1】詩は「生きる意味の衝撃」から心を守るためにある|意味を暗喩で奏でる近代詩

 かつて叙情詩の時代は

韻を踏む

575などで音を整える

という音楽的な響きが重視されていました

俳句や短歌でその日その時の心情は十分表現できます

でもなぜ今ここにいるのか

これからどこう向かうのか?

私の中の二つの感情が葛藤している

などは俳句や短歌では表現できません

昔は漢詩を書いていましたが

明治以降は新体詩が生まれ漢文素養が消えて行って

ついに現在は新体詩の後継者としての現代詩となっています

さて詩の書き方です


言葉のリズムの時代から意味のリズムの時代になった

言葉という点ではリズムはありませんね
そして淡々と書こうと激しく書こうと言葉の音の響きに美はなくなったのが現代詩です
では散文と詩を分かつものはなんでしょうか
TSエリオットは素晴らしくよく書かれたら詩も小説も同じだと言いましたが
やはり詩は詩のどくとくな表現がありますね

ぼくはそれは意味の響きだと思っています

たとえばランボーの

また見つかったよ 何がさ? 永遠というもの 入日と一緒に逝ってしまった海のことだ
これは言葉のリズムは翻訳でもありますがない
でも意味が響いている 入日と一緒に逝ってしまった海 というのは
暗喩の爆弾のようなものでおそるべき表現です





またTSエリオットの

底なしの深淵を越えてあなたはわたしに手を差し伸べてくださる
という一節がある夫人の肖像という詩にでてくるのですが
この一行のために膨大な繰り返しのような詩句を散りばめる
すべては底なしの深淵を越えて・・・がより一層響くための仕掛けに見える



ということで詩は意味の余韻とメロディです

意味とは人間が本能で持つ根源的イメージを言葉にしたもの
言葉を粘土のように練って創造した概念
エリオットの底なしの深淵というイメージは根源的意味であり
入日と一緒に逝ってしまった海 は概念を作り出し忘れていた何かを思い出せる

さてここで例題をみてもらいまう




ぼくは悲しい

という一行があります
これだけだと文学ではないし当然詩でもありません

では
君に振られて ぼくは悲しい

年末のボーナスが減ったので ぼくは悲しい

世界には5歳になれずに死んでいく子供たちの存在を知って ぼくは悲しい

3つの文章がありますが
だれでも3番目の文章にすこし文学的なものを感じるでしょう

ではさらにそのあとです

君に振られて ぼくは悲しい 
夕日を眺めていると旅に出たい衝動が襲ってきた

年末のボーナスが減ったので ぼくは悲しい
家に帰ると妻はどうせ皮肉と愚痴を言うだろう

世界には5歳になれずに死んでいく子供たちがいる!それを知って ぼくは悲しい
なのに死を前に子供たちは両親に微笑みながらありがとうとささやくのだ

こうなると3番目の文章は詩になっているのではないかと思います
これが意味の響きです
ぼくは悲しいという平凡な文章ですが
どんな事象を受けて悲しいのか?
そして悲しみのあとどうなるのか?
という3つの意味がどう重なるかで意味のメロディーが決まってきます
これを壮大にやっているのが現代詩です

さらに意味は暗喩=メタファーでやる
ランボーの入日の海のような表現だとイメージが疾走しますよね

世界には5歳になれずに死んでいく子供たちがいる!それを知って ぼくは悲しい
なのに死を前に子供たちは両親に微笑みながらありがとうとささやくのだ



5歳になれずに時の海に還元される子供たちの魂は美しすぎて
ぼくの悲しみなどその輝きの前にはただの見物人のため息に過ぎない
冬枯れの木々の先端が空に向かうのを見るとき


人はその天のかなたに
子供たちの最後の微笑みを受け止め抱きしめ
慈雨に変えて地上に戻してくれる存在の形をを探してしまうのだ


実は饒舌であり 激しい感情表現なのです
5歳を前にママに微笑みながら死んでいく子供
とだけ書くと
その意味に耐え切れないので人は
5歳になれずに時の海に還元される子供たちの魂は美しすぎて
ぼくの悲しみなどその輝きの前にはただの見物人のため息に過ぎない
と言わざるを得なくなるのです
つまりこれも詩というものが生まれるひとつの動機です
感情を表現するのではなく
その感情をささえるためにより本質的に考えるということです


意味は暗喩にするとより普遍化します
意味を確定すればするほどその日その時その場にいた人しかわからにものになります
しかし意味を暗喩で示し意味と意味を共振させるとその場にいない人でも
外国の異なる文化の人でも 共感できるものになるのです
つまりそれこそが現代における詩だと思います

言葉と言葉
一行と一行 
一節と一節
それらが互いに響きあうのが詩なのですね

では最後の小説はどう違うのでしょうか

小説とはセンテンスごとで共振させるから、振動はかすかでもいい
でも詩はガチンコの振動勝負。
小説は意味そのものではなく人物であったり風景であったり、物語であったりそうしたものが、日常を越えて全体で意味を示します
詩は一気に言葉で意味を示します
なのであり方が違うということです
そしてどちらの表現が好きかはこれはもう性向によるでしょう